木曽平沢へ、お弁当箱を迎えに。 |
松本クラフトフェアの翌日は、木曽へ寄り道。漆器の町「平沢」のちきりや さんへ、修理してもらった相棒のお弁当箱を迎えに行くためです。
寛政年間創業、200年の歴史を持つという老舗ちきりやさん。七代目である手塚英明さんは、PARTYもお世話になっている青梅の手塚俊明さんのお兄さんです。
うっすらと透ける木地が美しい春慶塗のお弁当箱を求めたのは、6年ほど前、やはりクラフトフェアの道すがら相棒と伺ったときのこと。初めて訪ねた風格あるちきりやさんの店内で、英明さんから漆のお話をいろいろお聞きして、感銘を受けた相棒が自分で買ったものでした。
「何だかお箸を運ぶのも丁寧になるね」と喜んでずっと愛用してたのに、今年のある日、帰るなり「今日事故があったんだ」。何かと思ったらお弁当箱を落として底が少し欠いてしまったと、深刻な顔で大変な凹みよう。
「じゃ、治してもらおうよ。」
相棒は傷つけたお弁当箱を見せるのは恥ずかしいと、しきりに恐縮したけれど、わたしはこの小さなお弁当箱にまた一手間かけていただく嬉しさと、それによってまたひとつ思い出深い歴史が加わる喜びに、何だかうきうきしてしまったのでした。
それで、快く修理を引き受けてくださった手塚さんが、数ヶ月して「出来上がりました」と電話をくださって、送りましょうかと言ったとき、即座に「いえ、取りに伺います」とお応えしました。また、あの山あいの漆器の町と美しい漆器の並ぶお店を訪ねることを楽しみにして。
塩尻を過ぎるあたりからスコールのようになった雨が、木曽路に入るとやさしくなって、平沢に着く頃には薄日が差し始めました。道路からぐっと下って入る川沿いの古い町並み。記憶をたどってゆるゆるクルマを走らせると「ここだここだ」。懐かしいちきりやさんの佇まいが現れました。
引き戸を開けると、すぐそこに荷造り作業をしていた手塚さん。
痛々しかったお弁当箱のふたつのキズは、きれいに治療されていました。嬉しい。
それから、相棒はお弁当箱を大切に抱えたまま、くろちゃんと3人、店内を埋め尽くす漆器たちに目を奪われてうろうろ。
老舗の当主に甘んじることなく、いまの暮らしに生きる漆を模索しながら、数々の素晴らしい、時に斬新な作品を創作して、高い評価を得ている手塚さん。ゆえに、お店に並ぶ作品もたんに美しいだけでなく、新鮮なアイデアが散りばめられて心をとらえます。
大から小までずらりと並んだお椀は「畢生(ひっせい)椀」と言って幼子のときから老いるまで、そのときどきの手に合うように作られたもの。同じく、小刻みにサイズの違う畢生箸もあります。
それらを組み合わせた「初めての食事」のセット。
ふたりでしっとり晩酌したくなるような、取り皿と箱が一組になった「おもてなし」のお弁当箱、お椀とおかずとごはんが一組で足りるお弁当箱は数種あって、酒器とおかずとおつまみがひとつで足りる晩酌のセットも。
また、これ一組で大勢の宴会もまかなえそうな、大きく豪華な何段ものパーティトレイのセットもあります。
どれもこれも、漆器離れの時代にその良さを知って使って欲しいとの手塚さんの願いから。
お店の入り口そばに並んだマットな根来のシリーズは、漆を直接塗り重ねることにより下地や磨きの工程を簡略化して、できるだけ買いやすい価格に挑戦しています。
刷毛目の見える、ちょっとカジュアルなオリジナルの「乱根来塗」。
そのしおりには「わたしが塗りまでの仕上げを致しました。ここから先の仕上げは『使い手』である『あなた』です。愛着を持って日常使っていただければ、その気持に応える様に、下から黒や赤が顔を出します。(中略)使い込んだうつわに本当の愛着が出たとき、世界にひとつしかない『あなた』と『わたし』の合作漆器の出来上がりです」とあります。
お弁当箱を迎えに行ったら、また何か新しいものもうちに連れて帰ろう。確信犯的に企んでいたわたしは、あれこれ迷っていちばん頻度高く使えそうな、その根来の取り皿と畢生箸を選びました。
手の大きさのだいぶ違う相棒と「どれが合うかな」とそれぞれに試す楽しさ。
根来のお皿は、いつか顔を出す黒の漆を待ちながら、日々、わくわくとした気持で使えそうです。
そうそう、手塚さんのしおりにも「わたしはいつも使い手の笑顔を思い浮かべて作っています」と書かれていた。素敵です。
驚いたのは、手塚さんがいまのお客さまの質問に答えるため、その実験のためだけに「食洗器」を買われたというお話。「食洗器は使えますか」とは、たしかにいまうつわやさんでも一番多い質問だけれど、漆器など、はなから「もちろんダメです」と言いきってしまわずに、どこがダメかを試してみる。その姿勢に感心してしまいます。
ダメなのはまず乾燥。そして、強力な研磨力を持つ食洗器用の洗剤。それが、手塚さんの実験の結果でした。
でも、食洗器が漆器に悪いかどうかという前に、使い込んで美しくなる漆器、せっかくなら自分の手で洗い、自分の手で磨き、育てて行きたいじゃありませんか。と、わたしは思います。
三人三様、次々に質問の出る私たちに、ひとつひとつ見本を見せて熱心に説明してくださった挙げ句、江戸末期の建築というお店につながる素晴らしいお住まいも拝見してお茶までいただき、長い時間を過ごさせていただきました。手塚さん、お忙しい中ありがとうございました。
ひどく疲れた松本のあと、何かとてもゆったりとゆたかな気分になって、感謝とともに名残惜しくあとにした木曽平沢でした。
お茶もお菓子もお手拭きも漆に乗って。お手拭きのお皿はほんとは、取り皿です。
江戸末期の建築という手塚さんのおうちの明かり取りの天窓。「子供の頃この下に寝転んで、雲の流れるのを見るのが好きでした」。
和の粋を集めたような建築に、ひたすら驚き、感動。
平沢の帰り、近くの奈良井宿に寄りました。時間が遅くてちょっと寂しい。
上の写真が、いただいて来た根来の取り皿と畢生箸。バタバタの朝も、なんだかちょっとゆとりの気分。
治していただいたお弁当箱。でも帰って以来ふたりとも慌ただしく、お弁当の出番がありません。せっかく帰って来たのに待たせてごめん。
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