大野木工の食器。 |
岩手県大野村は太平洋からの冷たい濃霧「ヤマセ」の影響で農作物が出来にくく,かつて村の男の人たちは一年を通して出稼ぎに出かけなければならなかったそうです。
「村で家族と暮らしたい」。そんな切実な思いを受けて,地域の資源「人,技、自然、風土など」を生かしたモノ作りの「ひとり一芸の村作り」を提唱したのは、工業デザイナーの故・秋岡芳夫さん。
そして、1980年、村人を挙げての学習の場「キャンパス’80」が開催され,女性たちは酪農資源を生かした乳製品や食肉加工品作りに取り組み,男の人たちは「村の山林にはたくさんの雑木があり、千人を超す出稼ぎ大工の技がある」という秋岡氏の呼びかけに共鳴して「木工ろくろ」の習得に励みました。
そうして生まれた大野木工が広く知られるようになったのは「地域の素材を生かし,地域の人が作ったものを,地域の暮らしに生かす」という理念から、最初に完成した木工食器を村内の子供たちの「学校給食器」として導入したことから。その試みは、工業製品があふれる中、ゆたかな生活文化の提案として全国に反響を与えることになるのですが,導入当初はアルマイト食器と先割れスプーンに慣れきった子供たちに、わずか1週間で木工食器はギタギタに傷つけられ破損されたそうです。
それでも、職人さんたちが壊れた食器を黙々と修理して給食現場に返し続けるうち,半年も経つうちに子供たちに「木のものは壊れる。だから大切に扱う」という意識が芽生え,破損はみるみる減って行ったといいます。大野木工の食器は、こうして子供たちに「モノの大切さ」を体感させると同時に,手に持っても熱さが伝わりにくいことから「手に持って食べる」和の食事のマナーをも教えました。そして、そうした大野の子供たちは村の誇りとなり,大野のモノ作りは子供たちの誇りになったのです。
大野木工の食器は秋岡氏の指導の元,木の内部に安全な塗料のようなものをしみ込ませて固める「プリポリマー加工」という処理を施されているため、普通の木工食器より格段に堅牢です。
それでも、長く使われるうち傷みが出てくることがあります。そうしたときは、もちろん可能な限り喜んで修理をしてくれます。
いまや大野村の保育食器は岩手県だけでなく、全国の多くの幼稚園や保育園で使われています。ときには修理しつつ,時には先生たちと話し合いかたちや大きさを改良しつつ,長く愛用されていると聞きます。また、ときには職人さんが保育園に出かけて木工の実演をすることもあります。
そうした現場とのやり取りで大野木工の器は,始まって30年、成長を続けているのです。
子供たちにとって使いやすい小振りで軽くて丈夫なうつわは,また食が細くなったり,握る力が弱くなった高齢の方にもやさしいうつわにも思えます。
去年の「こどものうつわ展」から、PARTYでも定番にさせていただいた大野木工の食器は、地味な存在ではあるけれど時折若いお母さんの目に止まり、ひとつまたひとつとお家に連れて帰ってもらっています。「赤ちゃんのプレゼントにしたいんですが,あのお椀ありますか?」と、憶えていてくれたお客様が勢いこんで買いにいらしてくれたときは、飛び上がりそうに嬉しい思いをしました。
時折、注文や質問の電話をすると、どこかアットホームで元気な気配を感じる大野木工。
いつか,ぜひ訪ねてみなくてはと思っています。
大野木工の飯碗と汁碗 。大野木工のお皿。
我が家では、今日、ようやくおひなさまを出しました。
よりによってこんな日に。寒いよ,とおひなさまたちに怒られそう。
慌ててて三人官女の順序が違うみたい。
先週頭に買ったチューリップが開ききってダメになったけど,子供たちが可愛かったので切り取ってコップに入れました。チューリップは暴れて手におえないけれど,木村さんのリンゴの話を読んでから、植物に「意思」を感じて微笑ましい。
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