2009年 02月 17日
木村さんのリンゴ。 |
エルサレムの村上春樹さん,素晴らしかったですね。
1日のニュースの中で、どこかの財務省との対比がすごかった。
ともすれば殺伐としがちな時代の中で,ときおりハッと大切なことを思い出させ、感動を与えてくれる人がいるのに,いったい政治家の中にはそうした品格ある人材はいないのかしら。
人の品格を決めるのは、富やうわっつらの名誉ではなく,自分の中にどれだけブレない軸を持って目先のことにとらわれず、広く長い目で前を見て歩いて行けるかだ。と,近頃そんな気がします。
「奇跡のリンゴ」という本を読みました。
日頃,ビジネス書や時代物専門の相棒が、書評で見て「読みたい!」と買ったこの本はNHK「仕事の流儀」で放送され,あまりに反響が大きかったので追加取材の上、刊行されたという、青森で無農薬のリンゴを作った木村秋則さんの話です。
1970年代後半,そのころ100%不可能とされていたリンゴの無農薬栽培に、木村さんはふとしたきっかけで取り組み始めます。生来、のめり込むタイプだった彼は、その試みによって婿に入った木村家のリンゴ畑も,婿入りのとき実家から譲り受けたリンゴ畑も、虫や病気の害でみるみる枯れ野のようにしてしまいます。周囲から謗りを受け、家族は貧乏のどん底に陥り(なのに非難も愛想尽かしもせず、朝から晩まで虫取りを手伝う婿入り先の家族もすごいのですが…)、粘り強い木村さんがいよいよ万策尽きてふらふらと死に場を求めて岩木山を登って行ったとき、すくすくと育つ野生のドングリの木に出会い衝撃を受けます。そして,その木の根元の土が枯れ葉や草に守られてふかふかと柔らかいことに気づき、どんぐりが雑草が虫や微生物といった自然の生態系と折り合い,その中で根をのびのびと,しかもしっかりと張ってたくましく生きていることを悟ります。
「自分は今まで,リンゴの木の見える部分だけ,地上のことだけを考えていた。目に見えないリンゴの木の地下のことを考えていなかった。堆肥を与え,養分を奪われないように雑草を刈ることしかしてこなかった」。けれど、人間が排除しようとする虫や雑草など「この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作」であるこの土こそが、どんぐりを守り、のびやかに育てていた。そのことに気づいた木村さんのリンゴ畑は、やがて虫や草や小さな生き物の楽園になり、その中でリンゴは生き返り見事に花を咲かせ,実を付けるのです。
木村さんが無農薬に取り組んで9年目のことでした。
大地の恵みがぎゅっと詰まった木村さんのリンゴは、いまや引っ張りだこの人気だそうです。でも、木村さんは何ひとつ贅沢をするではなく、リンゴの値段を上げることを拒み,全国に農業指導に出かけ、無農薬が当たり前になる日を目指して奔走しているそうです。
木村さんのような人が、本当に偉大な人なんだと思います。
本の表紙の木村さんは、気負いのかけらもない「突き抜けた」笑顔で笑っています。
その笑顔が、人の心も動かし、リンゴの心まで動かしたような気もします。
そして、自分を顧みたとき、日頃大変と思ってしまうことの何ひとつ、大変なことなどなかったんだと思えます。まだまだがんばれることはたくさんあると思ってしまいます。こういう人が,真に人に勇気を与えることのできる人なんだと思います。
「薬漬けの無菌状態で,栄養剤を補給されている。それは,私たち文明人の姿ではないのか。木村さんが発見した「リンゴ本来の力」を引き出すノウハウは、私たちの生き方にもまっすぐにつながる」と,語る茂木健一郎さんのあとがきも胸に刺さりました。
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by utsuwa-party
| 2009-02-17 15:45