伊藤淑潔さんのこと。 |

「よっちゃん!懐かしい!」
と、大向こうから声がかかるように書き込みがありました。
去年の1月、伊藤叔潔さんのうつわをはじめてFacebookで紹介したときのこと。
コメントの主は、長崎のスリップウェアの中川紀夫さんです。
そうだ、中川さんはしばらく益子にいたんだっけ。仲良しだったんだな。
と、同時に「ウチの窯は伊藤さんに作ってもらったんです」と、志村和晃さんからもコメントが届きました。
その前の年、益子陶器市で見つけた新進陶芸家 伊藤叔潔さんは、じつは「窯やのよっちゃん」として、益子で知らない人、は、いるかもしれないけれど、かなり知られた人気者だったのです。
伊藤叔潔さんは、1979年栃木生まれ。
高校を出て、とくにやりたいこともなく、家のそばのイタリアンレストランに面接にいったら「あまりの社会性の無さを怒られて」不採用。が、何を思ったかオーナーが紹介してくれたのが、陶芸家 田部井茂氏。地図を片手に訪ねた、その翌日から手伝いに通うようになったそうです。
土にこだわる田部井氏ゆえに、仕事はおもに土づくり。でも、それが面白くもあり、その仕事ぶりを見るにつけ、いつかは自分も焼きものやにとようやく将来の夢が芽生えた伊藤さんだったのですが…。
ある日、焚いた登り窯に感激し、虜になって「窯の周りをうろうろしてたら」、益子の窯やさんを紹介され、窯づくりの道まっしぐら。23才のときには窯やとして独立し、以後、「窯やのよっちゃん」として、益子の陶芸家たちに愛され頼られる存在になったのでした。
けれど、いつかは陶芸家にと心に決めていたよっちゃん。
「焼きものの練習はずっとしていて」30才のとき、いよいよ満を持して自らの窯を築き本格始動。まもなく笠間の窯業指導所で出会った菜穂子さんと結婚。ゆたかくん、ゆうりくん、ふたりの息子さんにも恵まれて、意気揚々、陶芸家としての船出をしたのでした。
そんな伊藤さんのうつわに出会ったのは2015年の秋の陶器市。
ふと入った路地で深いみどりのうつわに目を留めたわたしに、接客してくれたのは奥さんの菜穂ちゃん。陶器市は、奥さんにお任せのよっちゃんだったから、後日、電話のやりとりで注文し、初めて作り手と出会うことができたのは、年明け、納品に来てくれたときのこと。そのうつわ同様、おおらかで気取りなく、でいてちょっとシャイな人柄に和まされ、以来、常設だけでなく短い間にたくさんの企画展に参加してもらい、PARTYではもうお馴染みの作家さんになりました。
シンプルでおおらか、懐の深い洋のテイストのうつわを目指す伊藤さん。
「釉薬の実験をしているのがたのしい」という「釉オタク」ならではの微妙で美しい色みも魅力です。

陶器市やじもと以外でお店に出してくれたのも、本格的な個展もPARTYが初めて、というのが、ちょっと店主の自慢。
18日、19日は、よっちゃんも在店してくれます。
ぜひぜひ、おでかけくださいね。
ろくろから臨む緑
益子の中心部からほど近いけれど、緑に囲まれたよっちゃんの仕事場。
うらやましい、と言うと「こんな土地はここら辺にはまだいっぱいありますよ。ただし自分で開墾するんですけど」。

仕事場の入り口。
いいなあ。

お手のものの窯。これから焼くところ。


釉掛けのスペース。

出番を待つうつわたち。






