高田谷将宏さんの個展まで、あと4日。 |

今週土曜日、10月7日(土)から、高田谷将宏さんの個展です。
初めて高田谷さんと会ったのは、7年ほど前、伊豆の村木雄児さんの窯焚きの見学に行ったとき。(もう、そんなになるか。)
長年かかって完成した登り窯の初窯だったし、そもそもガキ大将肌の村木さんだから、手伝いの顔ぶれも豪華でお祭りのようだったけど、その中でひときわ一生懸命仕事していた若い衆が高田谷さん。
そのとき、ちらと見せてもらった作品は、すごく「村木似」で、ああ、村木さんを慕って来ている若手さんだと思ったけれど、今回、常滑に訪ねて話を聞けば、それもそのはず、その少し前、目にした村木さんのうつわに衝撃を受け弟子入り志願したばかりだったそうです。
高知で生まれ育った、高田谷さんは大阪の大学を出たものの、とくにやりたいことがないまま帰郷。そのころ、地元にできたばかりだった「無印良品」に就職したけれど、エプロン姿を友だちにからかわれ、嫌気がさしてすぐ退職。それから仕事を点々とするうちに、余暇に何かやろうと入ったのが陶芸教室。瞬時にはまって没頭したものの、作るほどお金がかかるので困窮。
その頃たまたま観に行った催しで、小野徹平さんと出会い、話をするうち誘われて仕事場に出入りするようになり、そこで「はじめて、焼きもので生活している人がいるってことを知ったんです」。
それで、本格的に産地で学びたいと思ったけれど、そのころ、お父さんが体調をくずし地元を離れることができず、ようやく瀬戸の専門学校に入ったのが30歳を過ぎてから。そして、そのころ見た村木雄児さんの作品に惚れ込んで、卒業後は弟子になると決め込み、関西での個展で在廊中の村木さんに会いに行き、いきなり「弟子にしてください」と直訴したそうです。
それが、わたしが窯焚きで高田谷さんと出会った、ほんの少し前の話。
弟子にこそしてもらえなかったものの、窯焚きでは重要な戦力となる、すっかり村木一家の身内のような存在になっていたわけでした。
それから数年して西荻窪の魯山での富山孝一さんとのふたり展を観に行ったとき、おっ、と思う高田谷さんがそこにありました。亀裂の入った大皿や、ヒビのあるうつわ。破綻をものともしない作品の数々は、大胆さでは師匠をも超える大物ぶり。面白いなあ。と、そのとき買ったちょっと重めの三島の湯呑みが、わたしの初高田谷さん。いまももちろん愛用しています。
そんなこんなで、3年前からお正月恒例の酒器展にも参加してもらっているわけですが、一年目はちょっとおとなしかったものの、いまや搬入の梱包を解いたとき、いちばん笑わせてくれるのが高田谷さん。酒器展というのに招き猫が入っていたり、突然、赤い水玉の酒器が現れたり、そのたび、店主はなんだこれ!とひっくり返りそうに受けるのですが、それがフタを開けるとすぐに売れてしまったりするから、お客さまも強者だ!と感動してしまいます。
3年前、瀬戸から常滑に居を移し、この7月のオーバル展のとき「じつは結婚しようと思っているんです」と言っていた高田谷さんは、先月訪ねたときには無事ゴールインし、可愛い奥さんと愛猫たちと幸せそうに暮らしてました。お仕事場も拝見したけれど、これから本焼きを待つ作品たちは見ても仕上がりが想像できず「いろいろ新しい試みがしてあるんです」と言われても、さっぱりわかりませんでした。
搬入をワクワク待つばかり。
でも、DMでご紹介した渋めの灰粉引きなどばかりでなく、緑も来ます。青も来ます。(青は、あまり売れないんですというのを「わたしが好きだから」と押し切って)水玉は来ないと思うけれど、格子も来ます。大きいものから小さいものまでいろいろ来ます。と、思います。
初日、2日目は、高田谷将宏さんも来ます。
今回、聞いて来た面白すぎるエピソードの数々、本人の口から聞いてください。
というわけで、ぜひぜひお出かけくださいね。
ちなみに、初日、お客さんが並んでいるのが夢だそうです。
