2005年 09月 15日
青木さんの三島のお湯のみ。 |
西麻布の桃居さんに、青木亮さんの個展を見に行きました。催しの時期が重なったため、あと2日で最終日といういまになって、やっと伺えたのです。でも、初日は大変な賑わいだったとのこと。今日も、ひとり、またひとりとお客さまが途切れないものの、とても静かだったから、かえってゆっくり青木さんのうつわと会えてよかったと思いました。
本当にその死を惜しまれた青木さんのこと。初日完売は想像に難くなかったですが、青木さんが見ていたら、生きているうちにこんなことがあったらと、笑っていたことと思います。
お客さまがお持ち帰りになったものも多く、今日、拝見できたのはお取り置きされた限られたものだけでしたが、ひとつひとつのうつわに青木さんの手の力と温もりと息遣いが感じられました。向き合うと、そこに青木さんがいるようで胸がつまるような、けれど、また青木さんと会えたような嬉しい気持ちになりました。
念願の薪窯を手に入れて、戦うように挑んだ初窯からややあって、今日の青木さんの作品はどれもとても穏やかな微笑むような表情に見えました。
ウインドウの前に置かれた大きなふたつの壺は、青木さんがその仕上がりを見ずして行った、青木さんが亡くなった日に、若い人たちが窯から出して仕上げたものでした。
酒器など小さなものの並んだ棚の前に屈みこんで、ひとつの三島手のお湯のみを手に取って見ていると、桃居の主人である広瀬さんが近付いて「坂根さん、そのお湯のみは青木さんが使っていたもので、ものが少なくなったから、持って来てもらったものなんです」と教えてくれました。やっぱりそうですか?確かに使ってらっしゃいました。もう一度よく見ると内側には茶渋が染みて、いい色合いになっています。
青木さんのお家に伺うと、いつも無造作にいろいろなお湯のみでお茶やコーヒーを出してくれました。わたしが、この三島のお湯のみが大好きで自分の前にまわって来たらいいな、と思って見ていたものでした。
この三島のお湯のみに初めて出会ったのは、桃居さんでの薪の初窯の個展のとき。たしか「この三島は薪で焼いたものじゃないんだ」と伺った気がしましたが、わたしはこの三島にひかれしばらく眺めていると「坂根さんのときは、こういう可愛いのをたくさん作るからさ」と青木さんは言いました。そう、じつはそのしばらくあとに、PARTYでのあとにも先にも一度きりになった青木さんの個展が控えていたのです。
「うれしい」と、それを待つことにして、その個展では記念すべき薪窯の片口とお皿をいただきました。が、PARTYでの個展の直前、青木さんはなんとぎっくり腰!最後の窯が焚けなくなり、その窯で「三島を焼こうと思ってたんだ」と伺って本当にがっかりしたものです。
「坂根さん、また、リベンジでやろうな!」
青木さんのまたの個展の約束は、かなわなくなりました。小さな愛らしい三島のお湯のみは、とうとうわたしのもとにはやって来ませんでした。
でも、手にできなかったからこそ、より思い出深くなるものもあるんだな、と、今日、お湯のみに再会して思いました。青木さんの三島のお湯のみは、青木さんの思い出とともに、これからもいつまでもわたしの心にしまわれているのだと思い、ちょっと胸があたたかくなりました。 PARTYのHPに戻る
本当にその死を惜しまれた青木さんのこと。初日完売は想像に難くなかったですが、青木さんが見ていたら、生きているうちにこんなことがあったらと、笑っていたことと思います。
お客さまがお持ち帰りになったものも多く、今日、拝見できたのはお取り置きされた限られたものだけでしたが、ひとつひとつのうつわに青木さんの手の力と温もりと息遣いが感じられました。向き合うと、そこに青木さんがいるようで胸がつまるような、けれど、また青木さんと会えたような嬉しい気持ちになりました。
念願の薪窯を手に入れて、戦うように挑んだ初窯からややあって、今日の青木さんの作品はどれもとても穏やかな微笑むような表情に見えました。
ウインドウの前に置かれた大きなふたつの壺は、青木さんがその仕上がりを見ずして行った、青木さんが亡くなった日に、若い人たちが窯から出して仕上げたものでした。
酒器など小さなものの並んだ棚の前に屈みこんで、ひとつの三島手のお湯のみを手に取って見ていると、桃居の主人である広瀬さんが近付いて「坂根さん、そのお湯のみは青木さんが使っていたもので、ものが少なくなったから、持って来てもらったものなんです」と教えてくれました。やっぱりそうですか?確かに使ってらっしゃいました。もう一度よく見ると内側には茶渋が染みて、いい色合いになっています。
青木さんのお家に伺うと、いつも無造作にいろいろなお湯のみでお茶やコーヒーを出してくれました。わたしが、この三島のお湯のみが大好きで自分の前にまわって来たらいいな、と思って見ていたものでした。
この三島のお湯のみに初めて出会ったのは、桃居さんでの薪の初窯の個展のとき。たしか「この三島は薪で焼いたものじゃないんだ」と伺った気がしましたが、わたしはこの三島にひかれしばらく眺めていると「坂根さんのときは、こういう可愛いのをたくさん作るからさ」と青木さんは言いました。そう、じつはそのしばらくあとに、PARTYでのあとにも先にも一度きりになった青木さんの個展が控えていたのです。
「うれしい」と、それを待つことにして、その個展では記念すべき薪窯の片口とお皿をいただきました。が、PARTYでの個展の直前、青木さんはなんとぎっくり腰!最後の窯が焚けなくなり、その窯で「三島を焼こうと思ってたんだ」と伺って本当にがっかりしたものです。
「坂根さん、また、リベンジでやろうな!」
青木さんのまたの個展の約束は、かなわなくなりました。小さな愛らしい三島のお湯のみは、とうとうわたしのもとにはやって来ませんでした。
でも、手にできなかったからこそ、より思い出深くなるものもあるんだな、と、今日、お湯のみに再会して思いました。青木さんの三島のお湯のみは、青木さんの思い出とともに、これからもいつまでもわたしの心にしまわれているのだと思い、ちょっと胸があたたかくなりました。
by utsuwa-party
| 2005-09-15 19:13