豊田雅代さん、大塚温子さんのこと。 |


私事ですが…、お酒も好きだけど、じつは、ケーキも大好きです。お酒は日々の食事の友だけど、モンブランやショートケーキやシュークリームは、スペシャル。珍しくおうちでのんびりの休日や、何かいいことあったときの、ささやかな自分へのプレゼント。
豊田雅代さんと大塚温子さんのうつわたちも、わたしにとってそんな存在です。
ふだん、お店に並べるうつわは、毎日のごはんに似合うもの。日々の暮らしに寄り添うもの。
だけど、時には「あ、かわいい」と思わず手にしてしまう、夢見がちな少女の気分にさせてくれる「いつもとちょっと違う」うつわをPARTYからお届けしてみたい。そう思いました。
二人と出会ったのは、去年の震災後の益子の陶器市。
それぞれのブースで足をとめ、かわいいなあ、と小さなものを求めて帰ってきたけれど、あまりに愛おしく、ただ自分だけのたのしみにしておくのはもったいない。そうだ、ふたり展をお願いできないかしら、と、連絡をしてみると、ふたりが友だちであることがわかり、話がとんとん進みました。

豊田雅代さんは、益子生まれ。
焼きものの町で育ったから、いつかは焼きものに関わる仕事をしたいと漠然と思っていたものの、学校を卒業後、彼女が選んだ仕事はなぜか「スポーツインストラクター」。「あまりに焼きもの身近にありすぎて、どう関わっていいか、わからなかったんです」。
作る人になりたいのか、売る人になりたいのか…。焼きものへの思いを先送りして、宇都宮のスイミング倶楽部に就職したものの、そこでの仕事のあまりのハードさに「人生こんなんでいいのか!」と、1年間で退職。益子の映画館でしばらく、アルバイトをしてお金を貯めて、なぜだか島根の陶芸の養成校に飛び込みました。
そこで手びねり、ろくろ、窯の扱い、陶芸の道具の作り方までを短期で学び、その後、勉強のため、窯元や民芸館など訪ね歩く1ヶ月ほどの貧乏旅に。そのときに、ようやく自分は「作る人になりたいんだ」と気づいた豊田さん。益子に戻って、さらに窯業試験場で2年学び、陶芸教室勤めを経て、去年、独立したのでした。


一方、大塚温子さんも栃木県生まれ。
美術系の大学でさまざまな工芸を学んだ中で「粘土がいいな」と思いを決め、陶芸の道に進みました。
卒業後、すぐに県立の窯業技術支援センターに入所して、2年間、本格的に焼きものを学び、卒業する頃に、たまたま窯が使えることで人気のあった貸し工房に空きがあり、そこで陶芸家としてのスタートを切ります。

アンティークのようにも、また北欧的にも見える大塚さんのうつわ。でも、じつはイメージしているのは「おばあちゃんが持っていた食器」。物持ちの良いおばあちゃんがしまい込んでいた「昭和の食器」が、彼女のモチーフです。
益子に二人を訪ねた時、大塚さんの大好きな陶器屋さんに連れて行ってもらいました。
アンティーク屋さんでも、作家もののお店でもなく、昔はどこの町にもあった、お茶碗やお皿が山積みのふつうの「せともの屋さん」。おばさんがひとりお店番をしているその店のうつわは200円とか300円とか値札がついていて、ほこりをかぶってていたりするけど、な〜るほど、私たち世代なら「あ〜、あったあった」と懐かしくなる、洒落て言うならレトロモダン。
かわいいね!これ買っちゃおうかなと熱心に物色する二人を見てると、そういう昭和の香りがこの世代にはとても新鮮なんだと発見します。

おばあちゃんのうつわへの憧れから試行錯誤するうち、自分のやりたいもの、自分にしかできないものが、見えてきたという大塚さん。去年、益子で出会ったときより、いちだんとのびやかな仕事ぶりに、その気持が感じ取れました。
北は青森から、南は沖縄まで精力的に飛び回り人と会い、焼きものの心や技術を吸収しようとする豊田さん。もの静かにイメージを辿りながら、自分の世界を広げる大塚さん。
対照的な二人ですが、共通しているのは、手間ひまをいとわないこと。
レースのような繊細なかたち、細かいイッチンを施したデザイン、危ういバランスのフォルム。
一歩間違うと、失敗に繋がる繊細で神経を使う技法にあえて取り組む豊田さん。
たんにうつわに絵を描くのではなく、撥水材をかけたあと、ひとつひとつ模様の部分をそぎ落とし、色の絵の具を乗せて模様を作る大塚さん。「いろいろ試したけれど、これがいちばんいいみたいなんです」。
出来上がったものは愛らしいけれど、そのうしろには途方もなく地道な時間があります。

そういう同い年のふたりの展示会。
ぜひ、ご覧にいらしてくださいね!初日の8日から10日の日曜日までは、二人も会場でお待ちしています。

豊田雅代さん。

今年、春の陶器市で。

大塚温子さん。

同じく、春の陶器市で。
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