滴生舎にて。 |

駐車場を挟んで向かい側には、おばさんたちがまかなう庶民的なおそばやさん。「他に食べるとこないんですよね…」ということで、滞在中の2日間、お昼をここでいただきました。
手打ちのおそばも添えられたナスのお浸しも素朴で美味しかったけど、「漆器、使ってないんですね」。

「そういう話もあったらしいけど、高いとか、使い方が分からないとかで実現しなかったらしいです」と漆掻きを見せてくれた鈴木健司さん。
およそ1200年前、天台寺の建立とともに始まったという浄法寺漆器の歴史。僧の什器から、やがて庶民に広まり、ふだん使いのうつわとして暮らしに根付いていましたが、昭和初期、その需要の大きさに木の生長が追いつかず質が落ち、原木が不足したうえ、急速に生活に入って来たプラスチックのうつわに押され衰退して行きました。
その浄法寺漆の復興に取り組んだのが、漆作家 岩舘隆さんのお父さんで漆掻き職人の岩舘正二さん。
昭和50年代に組合を設立して生産再開。昭和60年には、伝統工芸品の指定を受けて広く知られるようになりました。
ですが、ひとたび人々の暮らしから離れた漆器を、再び食卓に戻すのは容易なことではなかったようです。
滴生舎の前のおそば屋さんしかり。すっかり日常から遠くなった漆に、まずは地元の人から親しんでもらおうと、滴生舎ではさまざまな試みが準備されているところでした。
ひとつは、高校生に漆塗りを体験してもらう企画。お椀に、カップ大小に、小鉢。「これだけあれば、一人暮らしを初めたときうつわに困らないでしょう?自分のときは食器なんてなかったもんな」。高校卒業後、サラリーマン経験のある小田島さんが目を輝かせて言います。
まもなく、9月に行われるということでその下塗りが急ピッチで進んでいました。
もうひとつは秋に行われる漆のイベント。
毎年行われる漆の品評会や漆の生息地をツアーで巡ったり、賛同を得られた飲食店に漆の食器を貸し出しし使用してもらうなど、たのしそうな企画が盛りだくさん。飲食店で使ってもらううつわも小田島さんのデザインで、新たに4種制作中です。こちらも「急がなければ間に合わない」と、少ないスタッフがフル回転。
伸び悩む漆の需要、掻き手の後継者の問題などなど、漆の厳しい現状は重々知っていても、滴生舎の人たちの生き生きとした姿を見ていると、浄法寺漆器の未来は明るいと思ってしまうのでした。

滴生舎の外にずらりと並べられた漆の木。秋のイベントのとき、飲食店に飾ってもらうよう、念入りに乾かしているところです。

塗るものによって漆を混ぜ合わせて使います。色の調合だけでなく、空気が乾燥して乾きにくい時期には、乾きやすい漆を混ぜるなどして調整するそう。漆も掻き手や、掻いた時期により、質が違うのです。

漆は湿度がある方が乾くため、湿度を保った「風呂」という押し入れのようなものに入れて乾かします。

貸し出し用に中塗りされたうつわたち。

飲食店に貸し出す食器は、サイズの違うお椀が3客とカップ。
入れ子のお椀は、ぴっちり入りすぎると取りにくくキズになりやすいので緩く重なるようにして、しかも3つ一緒に持てるようになっています。このくらいラフに持って使って欲しいとの願いもこめて。

下に沈んでしまう朱の色素と漆を均一に混ぜ直しているところ。貴重な漆を一滴も無駄にしないよう、ヘラで巧みにすくい取る技は思わず見とれてしまいます。このやり方は作り手によって違うそうです。
滴生舎の工房の若いスタッフはやがて塗り手として独立を目指す人たち。ここは、浄法寺塗りを継承して行こうとする人の支援の場でもあります。

中塗りの部屋。今年は稀に見る暑さで湿度も高かったので、塗っている端から漆が乾き、滅多に使わないクーラーを入れたとのこと。上塗りは集中力を要するため、外から見えない部屋になっています。
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