5月。尾形さんの仕事場へ。 |
ちょうどひと月ほど前の5月上旬、奈良の尾形アツシさん宅を訪ねました。
伺いたいと電話をすると「窯を見てください」と尾形さん。そう、その窯を見に伺いたいのです。
そもそも、尾形さんが何のゆかりもない奈良に住まいを構えることになったのは、薪窯を作りたかったがため。関東、関西、さまざまな土地を探し歩いた末、室生寺に近い山あいのこの土地に落ち着いたのです。
どんよりと重い雲がたれ込めた5月の日、再び仕事場を訪ねると、引っ越して間もなかった一昨年「あの辺りに窯を」と指差して教えてもらった斜面に、新しい登り窯ができていました。
「ひとりで焚ける窯が作りたい」と言う尾形さんの窯は、焼成室がひとつだけの小さなもの。一般に登り窯は焼成室がいくつかあり、それを埋める量の作品を作らなければならないため、高い頻度で焚けないのですが「月に一度ぐらい、焚けるように」というのが尾形さんの思いです。ただ、膨大な量の薪を使うため、その効率化がひとつの課題だそう。薪窯は、薪の調達が大仕事。近隣で伐採された木を貰い受けますが、苦労して入手しても、薪としての使い物にならないものもあるといいます。
また、たくさんの窯を見学し、勉強し、最良と思って作った窯でも実際に焚いてみるとまた新たな課題が見えてくるよう。去年10月に焚いた初窯は、薪をくべる「ドウギ間」に置いたものは焼けたものの、メインである一の間のものが、体調を崩して早めに火を止めたためもあって、釉が溶け残ってしまったそう。「傾斜が足りなかったかな」。窯の説明をしてくれながら、腕組みし、独り言をつぶやき、長く思案する尾形さん。そうして、改良や工夫を重ねつつ、時を経て窯は尾形さんのかけがえない相棒になって行くのだと思います。
つねにのめり込むように土と向き合う尾形さんですが、念願の薪窯に向けて、これまでにも増してさまざまな土や釉薬にも取り組み始めています。いま、もっとも心引かれるのは唐津。これから、尾形さんならではの魅力ある唐津が生まれて来るかもしれません。
初めて窯を焚いたのは去年の10月。DMに使わせていただいたのはそのときの作品ですが、焼け残ったものも多く、実質的に今回の個展が初窯と言います。PARTYとしては、とても光栄なこと。
また、並行して続けているガス窯の作品でも、このところのたくさんの試行錯誤による新しい成果を見せてもらえるはずです。作品の到着はもうすぐ。いつにも増して、心躍る気持で待っています。
この日は、奥さんと、4才のひとり息子「かなん」ちゃんと3人暮らしのお家に泊めていただきました。学校の先生として忙しい奥さんに代わってお料理担当の尾形さん。まず、ビールの友に出て来たのは窯場の周囲で採れたタケノコ、ワラビ、ヤマブキの煮物。その味付けの程よさに、びっくり!「フキミソは失敗して」と言うけれど、十分美味しかったです。
尾形さんの食卓は、たくさんの作家さんの作品が無造作に登場します。そのひとつひとつが、尾形さんにとっての刺激材料。
メインは「生協で取った」というサムゲタン。この日は5月にしては冷え込んだ日だったので、ほんとに暖まりました。
寝るときに用意してくれた冷たいお茶セット(なんて細やかな心遣い)は、尾形さんのピッチャーに小野哲平さんの湯のみ。
朝、2階の窓から。しっとりと静かな雨の風景。
かなんちゃんの宝物、オタマジャクシ。真ん中のケースにはカエルが一匹。「寂しくないかな?」と尋ねると「オタマジャクシが見えるから寂しくないねん」。お父さんお母さんは関東の人なのに、すっかり関西弁が身に付いた彼は、尾形さんいわく「ボクの関西弁の先生です」。
オタマジャクシ、もうカエルになったかなあ。ちょっと怖い。
愛犬のシェパード「サラ」は、可哀想な境遇だったところを尾形家に引き取られ、ようやく安住の地を得たばかり。よかったね。
一昨年来た時、窯を作るから切らなければと言っていた見事な柚子の木。密かに心配していましたが、心やさしくも残されて窯を見守っていました。
焼成室「一ノ間」。本当は、登り窯は二ノ間、三ノ間と続くのですが、尾形さんのは一ノ間だけ。
貴重な薪。
前回の窯焚きでできた薪の土灰。やがてまたこれが釉薬になります。
裏山に、こんな古い美しい瓶がゴロゴロと転がっているらしい。。
伊賀の原土のぐい吞みは、焼き縮んでもなお「デカイ」気がする…。
これが伊賀の原土。
ただいま試行錯誤中。
仕事場です。
ガス窯です。
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