2005年 05月 19日
わたしのミシン。 |
店に出かける前の朝のひととき、久しぶりにミシンに向いました。
なんだか心がうきうきしました。
子供の頃から母が洋裁の店をしていたので、足踏みの職業用のミシンがいつもそばにありました。でも、洋服づくりはもっぱらプロである母におまかせ。几帳面な母の目には私の縫い物はあまりに汚く、家庭科の宿題はしばしばじれた母にひったくられたものです。
母が店をやめたあと、ミシンを一台を譲り受けたけど、いわゆるレトロな美しい曲線の黒いミシンはそのうちに寿命が来て、足はそのままに、泣く泣くこの無骨ないかにも職業用のマシンに取って変わられることになりました。でも、いくたびか一緒の引っ越しを経て、いまや愛着の「わたしのミシン」。
ジグザグや、家庭用の電動ミシンも踏んだことはあるけれど、アナログなわたしはやっぱり足踏みの直線しかできないこれが好き。時間も技術もなくて、なかなか洋服までは作れないけれど、ランチョンマットや鍋つかみ、袋ものなど、布をいじるのは気持ちがやわらかくなってとても好きです。でも、去年、引っ越してからというもの、新しい部屋でミシンを踏むのがひとつのささやかな夢だったのに、時間に終われ、移動で取り外した頭をようやく付けたのが数カ月たってから。やっとミシンに向ったのが数日前。新しい季節のために、それから来週の鎌倉ランチのために、新しいランチョンマットが欲しかったのです。引っ越しで移動してしばらくたって調子を見たら、ベルトが弛んでいたので少し締め直し、踏み心地がひどく重かったので油を差し、なんとか普通に動くようになったけど、縫ってみたらときどき針目が飛んだり、ギザギザしたり。これは、わたしの腕のせいだけじゃないな。だましだまし家での2枚は縫ったけれど、鎌倉用は母のミシンを借りに来て作ることにしました。時間が出来たら、メンテナンス屋さんを見つけなきゃ。
なんだか心がうきうきしました。
子供の頃から母が洋裁の店をしていたので、足踏みの職業用のミシンがいつもそばにありました。でも、洋服づくりはもっぱらプロである母におまかせ。几帳面な母の目には私の縫い物はあまりに汚く、家庭科の宿題はしばしばじれた母にひったくられたものです。
母が店をやめたあと、ミシンを一台を譲り受けたけど、いわゆるレトロな美しい曲線の黒いミシンはそのうちに寿命が来て、足はそのままに、泣く泣くこの無骨ないかにも職業用のマシンに取って変わられることになりました。でも、いくたびか一緒の引っ越しを経て、いまや愛着の「わたしのミシン」。
ジグザグや、家庭用の電動ミシンも踏んだことはあるけれど、アナログなわたしはやっぱり足踏みの直線しかできないこれが好き。時間も技術もなくて、なかなか洋服までは作れないけれど、ランチョンマットや鍋つかみ、袋ものなど、布をいじるのは気持ちがやわらかくなってとても好きです。でも、去年、引っ越してからというもの、新しい部屋でミシンを踏むのがひとつのささやかな夢だったのに、時間に終われ、移動で取り外した頭をようやく付けたのが数カ月たってから。やっとミシンに向ったのが数日前。新しい季節のために、それから来週の鎌倉ランチのために、新しいランチョンマットが欲しかったのです。引っ越しで移動してしばらくたって調子を見たら、ベルトが弛んでいたので少し締め直し、踏み心地がひどく重かったので油を差し、なんとか普通に動くようになったけど、縫ってみたらときどき針目が飛んだり、ギザギザしたり。これは、わたしの腕のせいだけじゃないな。だましだまし家での2枚は縫ったけれど、鎌倉用は母のミシンを借りに来て作ることにしました。時間が出来たら、メンテナンス屋さんを見つけなきゃ。
by utsuwa-party
| 2005-05-19 16:47